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【大切な家族と生きる】まだまだ未熟な父親である私の決断とこれからの挑戦とは?

お久しぶりです。

よかです!

だいぶ久しぶりの投稿となってしまいましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私は現在3歳の息子の子育てをしており、妻に助けられながら日々奮闘している31歳父親です。

これからの人生、「家族と時間を作るために私にできることはなんだろう…。」

これは私よかが、家族の理解もあり、新しいことに挑戦している子育て奮闘記である。

目次

これからの人生このままでいいのか…?

そんな考えを持ち始めたのが「5年前」

自分がボロボロになるまで働いていた私が、これからの人生を考えるようになりました。

息子が生まれ、より一層その想いが強くなっていきました。

「0歳、1歳の息子は今しか見れない」

「子育てに関わることは今しかできない」

20年後に妻と「あの時、息子こうだったのになあ…」なんて話せるのは、今を一緒に頑張った時初めてできることなんじゃないか。

考えれば考えるほどわからなくなり、日々働き続け、「とにかく稼がなきゃ」となっていきました。

おわかりでしょうか。

そうです。

余計に家族との時間を失っていったのです。

そんな私よかが、家族の理解があってこその挑戦をしたお話をここに残してみたいと思います。

子育て・育児参加のための選択

男性は「仕事」

女性は「家事」

今もそう考えているなら、なんかもったいない気がするんです。

家のことは女性がするから「家内」って言葉も生まれたのかもしれませんが…

子育てに参加しないと、自分の子供に子供が生まれた時、何も知らない男になってしまいますよね。

なんかそれは悲しい…

「かっこ悪い人にはなりたくないじゃないか」(人として:SUPER BEAVER)

妻と話し合い、これからの人生どうしたらいいものか…

これから私が選択した生き方をちょっとばかしお話しさせてください。

8年務めた会社を辞めた

私はドラッグストアで販売員として8年間務め、退職しました。

新卒で入社し、失敗もたくさんしましたが、最後の3年間は店長を務めさせてもらいました。

3年間の役職なし、2年間の副店長職、3年間の店長職。

たくさんの人に「順風満帆なキャリアアップですね」と言っていただけるほどには働きました。

中には「安定の大企業なのにもったいない」と言われたこともありましたね。

私はこの時一番考えていたのが「安定ってなんだろう」なんです。

給料はちゃんともらえているし、福利厚生もしっかりしている会社で、毎年昇給もしていましたし、賞与も滞りなく支給されていました。

ありがたいことに大手企業で働かせてもらい、側から見れば安定した企業と言えるでしょう。

しかし、「もし会社が潰れたら」誰が自分と家族を守れるんだろう。

そんな不安が考える時間を作りました。

そこでたどり着いた考えが、「自分で自分を守れるくらいのスキルやキャリアが欲しい」でした。

現代はSNS社会。

SNS発信をしている社長の方。

SNSを用いて企業紹介をしている会社。

インフルエンサー。

こういう人たちは自分と何が違うんだろうと、そういった方々のSNSをたくさん見るようになりました。

販売員は店舗があってお客様を待つ仕事。

これではお客様が来なければなんの力も発揮できない。

自分からお客様のところへ行く仕事のスキルが必要だ!

そう思った私は妻へ気持ちを伝え、営業職へ転職することを決意しました。

未経験で別業種へ転職した

先ほどお話しした通り、私は「営業職」へ転職しました。

当時私は30歳。

未経験で採用してくれる会社が多いわけではありません。

中途採用はもちろん「即戦力」を探しています。

未経験である以上教育は必要ですから、これは致し方ないことでしょう。

しかし面接で人柄を買っていただき、未経験ながら営業へチャレンジする機会をいただきました。

その企業に転職を決めたきっかけは、3人という少人数の支店に配属になること。

営業部長が目の前にいることで、営業についてとことん勉強できると感じたこと。

半年で盗めるところを盗み、1年後には自ら顧客を獲得できる人材になれると思ったこと。

そう意気込んだ私にも様相もしていなかったことが起こります。

配属から1ヶ月後、営業部長の転勤。

新しく赴任するはずだった営業部長の退職。

現場上長不在での未経験営業。

「はっ…!?」

そうです。

未経験で転職した職場で、私は上長不在での勤務生活が始まりました。

残されたのは私と事務の女性が1名。

「え…営業…んーーーー???」

未経験ながら売り上げ目標25億円、粗利目標1億8千万円。

「あれ?どうしたものか」

しかし、狼狽えてはいけない!

私はここで立ち止まるわけにはいかないんだい!!

営業ノウハウ系のYouTube動画を漁ってはメモメモ。

商品知識を身につけるために、本社転勤になった上司や他の支店の方に質問しては、とにかく訪問!

そんなこんなで独学の営業活動を繰り返していきました。

人生を考えた決断だったので、営業経験を積みながら、フリーランスとして独立するためのコンテンツをチェックし、勉強を行なっていました。

フリーランスとして独立するための勉強を始めた

営業経験を積みながら、個人で仕事ができるようになるための勉強を始めました。

フリーランスなどで働くためには、営業のような提案力や、質問力が強みになると考えていたからです。

この繋がりを感じたことが、営業経験が必要と感じたきっかけになります。

そこで私が勉強を始めたのがWebライティングについて。

クラウドソーシングサイトで仕事を依頼していることも多く、即金性のある仕事。

これで実績を積めば、「どこにいても働ける!」

低単価でもいいからとにかく実績が欲しい。

Webライティングについて勉強できる案件を探し、勉強と実践を繰り返すことにしました。

転職サービス系の記事、リフォーム、恋愛系ととにかく記事を書きました。

記事を書くことに抵抗はなく、1時間で1000文字入力できなかった私が、1時間で1800文字平均で入力できるようになったのです。

人間ってやれば成長するんですね。

なんか自分でもびっくりです…笑

こうして少しずつですが、執筆のお仕事も始められるようになりました。

思い切ってフリーランスになる

私は、とある転職サイトに掲載のあった業務委託契約のライター職に応募をしました。

今までやってきたこと、現状の能力等を面接でお伝えし、契約をいただくことができました。

ですが「これを本業にしなくては仕事を受注することができない…」

「まだ安定して入ってくるかもわからないのに…」

妻に相談した際言ってもらった言葉があります。

「もし厳しくなったら、責任もってバイトでもして生活は保てるようにしてくれるなら、挑戦すればいいよ」

ああ…ごもっともだ。

私は営業の仕事を退職する決意をし、フリーランスとなったのです。

でもいろいろなことが重なり、「来月の生活が厳しい…」という状況に。

営業職の仕事を嫌で辞めたわけではなく、「自分の夢を叶えたい」という強い想いを伝えてのことだったため、それなりに円満に退職しました。

退職してからも、前職の方達と交友はありますし、私が請け負っていた取引先の引き継ぎなどで、ちょくちょくお邪魔しているほどです。

そこで正直に事情を話し、バイトで雇ってもらえないかの相談を持ちかけました。

現在検討していただいているところです。

生活のためとはいえ、自分のことも諦めず、家族を守れるように責任だけはしっかり持ちたいと思います。

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